食品と暮らしの安全基金代表 小若順一
「環境ホルモン」が登場したころのことをシンポジウム(2006年11月)で話すよう環境省から依頼され、10年ほど前の本誌を見直すと、「狂った」ように仕事をしていました。
市民運動史に残る「遺伝子操作食品」と「ダイオキシン」の問題が1996年に浮上。同じ時期に、食品衛生史に残る病原性大腸菌O157の大食中毒事件も起こりました。
この3大問題のすべてに、私たちは時代を変えようと思って対応していました。
遺伝子操作食品に対しては、虫が死ぬ映像を撮って啓蒙用ビデオを作製。
ダイオキシンに対しては、生活クラブ生協検査室の槌田博さんのプラスチック処理法の考えを図解してポスターを作製。
O157に対しては高松修先生の「牛のエサと飼い方が悪い」とするポスターを作製。これも大きな支持を得ましたが、約1年後に、ワラを食べさせるとO157がいなくなることが判明して、高松説が問題解決の基本であることが証明されました。
こうして目一杯に活動しているときに、「環境ホルモン」が出てきたのです。
まず、BBCのテレビ番組「精子が減っていく」がNHK−BSで放映され、そのビデオが会員さんから送られてきました。それを見て私たちは非常に驚くとともに、この問題を初めてきちんと認識しました。
しかし、その時は「市民団体が解明すべきことはすべて明らかになっている」と思ったので、取り組みを始めませんでした。
97年5月、NHK「サイエンスアイ」で、環境中のホルモン類似物質が子孫に危害を及ぼす問題を、横浜市立大学の井口泰泉教授(当時)が「環境ホルモン」と命名します。
私たちは、化学物質が子孫に危害が加えるという危惧感からの活動をスタートさせているので、何としても、この「環境ホルモン」に取り組みたいと考えました。
そして、環境省の研究班が出した中間報告に英語で出ていた内分泌撹乱化学物質、つまり「環境ホルモン」の一覧表を見つけたのです。
そこで、用途を調べ、日本語で一覧表を作成しました。そこに出ていた「ビスフェノールAはカーボネート樹脂の原料」と、槌田さんから教えていただいたので、横浜国大の花井義道先生にほ乳ビンの溶出検査を依頼しました。
そして1997年10月号(102号)の本誌に、「環境ホルモン一覧表」と、ほ乳ビンの溶出検査結果を同時に掲載。すると、大反響を呼び、テレビ番組からの取材が相次ぎました。
12月号で、歯がため、おもちゃからフタル酸エステルが溶出、と検査結果を公表すると、やはりテレビがこぞって取り上げました。年が明けて98年には、新聞各紙も環境ホルモンを取り上げ、一般に広く知られる「騒動」になって、プラスチックの安全性は大幅に向上したのです。
私はいつも、時代の流れをつくりたいと思って活動していますが、そうなることはめったにありません。それでも頑張っていると、まれに時代がごほうびをくれるのです。
環境ホルモンの端緒に深くかかわれたことは、大変に幸運でした。
次回は、「時代の求めに応じて」です。
2007年2月1日発行 No.214より