食品と暮らしの安全基金代表 小若順一
1977年に放映されたNHK大河ドラマの『花神』(かしん)。村医者から長州軍の司令官になって、少数で幕府の大軍を破り、日本の軍備の礎を築いた大村益次郎(医者のころは村田蔵六)を描いた『花神』は、「花さかじいさん」を意味しています。
司馬遼太郎の原作を読み、村田蔵六が突然おどり出て、時代が求める役割を果たし、見事な成果を挙げて、時代が変わったら、忽然として消えたことに感動しました。テロに倒れるのは嫌ですが、社会が必要としていることをして成果を挙げ、必要がなくなったら、ひっこめばいいと思ったのです。
そのとおりになったのが、コーデックス(国際食品規格委員会)の熊澤夏子です。
熊澤(以下、「夏ちゃん」)は、カナダのダルハウジー大学院の環境学を修了し、1998年5月にスタッフとして入ってきました。
その少し前にアメリカCSPI(公益科学センター)のブルース・シルバーグレイド法律部長から、国際団体を作ってコーデックスのオブザーバー団体に申し込まないかと、連絡がありました。私は1980年からコーデックスと深い因縁があったので、もちろんOK。
それきり忘れていたら1998年のクリスマスに、オブザーバー資格が取れたとブルースからファクスが入ったのです。
99年4月、コーデックスの表示部会に乗り込むと、日本代表団のあまりの堕落ぶりに驚かされました。
連携プレーはゼロ。日本代表が話しているとき、マイクが故障したのに、残り4人は知らん顔。
英語のできない官僚は、用意してきた文書を、会議の流れに関係なく、議長に挨拶もせずに読み上げる始末。
歓迎パーティーでは、政府団は業界人に囲まれたままで、早々に消えていきました。
あまりのひどさに怒った私は、朝日新聞の岡田幹治論説委員に電話を入れ、「窓」で取り上げてもらいました。
夏ちゃんと、初回参加の高橋信子さんは有機農業の知識があり、得意の英語力で、政府を尻目に最初から活躍。
その後、夏ちゃんは環境ホルモン市民団体テーブルで次々と招聘した世界の超一流科学者の通訳で実力を急速に伸ばし、コーデックスでは日本の「顔」になっていきました。
面目をつぶされた政府は、英語のできる官僚を出すようになり、仕事もできる官僚も出てくるようになって、2002年のアジア部会・政府代表団の牛尾光宏さんは、アジア各国から頼りにされるほどでした。
夏ちゃんの活躍で、政府は恥をかき、日本代表団は、人材も意識も変わりました。
こうして、日本の国益に大きな貢献をしたあと、夏ちゃんは産休に入りました。
実のところ、日本政府が国際的に力を出すようになると、NGOが総力を挙げても、たいしたことはできません。必要がなくなったから、ひっこんだ、という結末でもよかった、と私は思います。
次回は「好きなことだけする」の予定です。
2007年3月1日発行 No.215より