この文中でレビューしている研究の多くは、ブリティッシュコロンビア州の海洋科学研究所のピーター・ロス博士のものである。彼は、北東太平洋のシャチを「汚染された惑星の護衛であり、地球規模の汚染の指標」であると述べている。
北東太平洋のシャチは以下の理由により、とても強力な指標となる:
- 海棲哺乳類は、一般的に、有機塩素系汚染物質の生物濃縮に非常に影響されやすい。ほとんどのPCBsは最終的には海洋環境にたどり着く。PCBsは脂肪に溶けるので、分厚い脂肪の層を持ち、これらの汚染物質を排出あるいは代謝する能力に乏しい海棲哺乳類は、生物濃縮の格好の代表者である。
- シャチは食物連鎖のトップに位置し、沿海に生息する性質があるので、海洋哺乳類のなかでも生物濃縮と生態系に関して特に優れた指標である。事実、Whale
and Dolphin Conservation Society の把握によると「シャチは高いレベルの生物濃縮を示し、野生動物の中でも最も化学物質に対して脆弱な動物の1つと考えられる」ということであった。
- 北東太平洋域に生息するシャチについては、30年以上もの研究があり、既存の知識と照らし合わせて生物濃縮のデータを分析することができるので、生物濃縮の研究の対象としては理想的である。これらのシャチは世界中の鯨類のなかで最も徹底して研究されているものの1つである。1973年から
写真による固体識別研究が行われてきたし、食行動のパターン、社会構造、超音波、遺伝子についての詳細な研究が、シャチの年齢、性別、食生活、生息域との関連で、PCBs蓄積の度合いの違いについて、信頼できる研究をすることを可能にしている。
北東太平洋のシャチの歴史
この文中で言及されるシャチは、北アメリカの西岸、北緯44°〜61°の海に生息しているシャチである。彼らは定住型(residents)、移動型(transients)、沖合い型(offshores)の3種類の個体群を構成している。この報告書の目的上、比較的研究されていない沖合い型のシャチについては含まないこととする。
マイケル・ビッグ博士、ジョン・フォード博士、グレアム・エリス博士らの最近の研究は、定住型のシャチと移動型のシャチは食生活、言語、行動、社会構成の面で異なっていると結論付けた。よって、彼らは生態的にはっきりとした相違点を持つ、異なる生態型であるといえる。ランス・バレット−レナード博士によるDNA調査は、定住型と移動型のシャチが交配しないことを裏付けている。
定住型は、魚類のみ(主に鮭)を食する。鮭は回遊魚であり、餌としては予測可能性が高い。この予測可能性の高さは、定住型のシャチが高度に社会化した、コミュニケーションの盛んな動物に進化することを可能にしたようである。彼らは、母系社会構造を持ち、出生集団からの分散はみられない。彼らの発声は狩りの成功を邪魔しない。なぜなら鮭には聞こえない音域だからである。実際に、発声は、はっきり識別できる方言を形成するほどに分化しており、近親交配を回避する方法として利用されている。定住型のシャチは2つの下位グループを構成している。北部の定住型グループは約215頭から成る。南部のグループにはたったの81頭しかいない。この2つの下位グループ間では交配は見られない。これは、おそらく言語が異なるせいであると考えられている。彼らの母系社会構造や行動範囲の狭さのおかげで、この頭数の推計はかなり信頼できるものとなっていることに留意されたい。
220頭前後いる移動型のシャチは海棲哺乳類を食する。彼らは、このような難しい獲物を相手にした狩りの成功をより確かなものにするように、進化してきたようである。彼らは不特定の小さなグループで移動し、潜水時間も長く、行動範囲も広い(このことにちなんでtransient(移動する)と呼んでいる)。言語は1つしかなく、発声は少ない。これについては、彼らの餌である海棲哺乳類は彼らの音域が聞こえるので、狩りを成功させるためにあまり発声しないのだという仮説がある。この仮説を裏付けるように、狩りが成功した後は、互いへの呼びかけはずっと頻繁になる。狩りの相手に感づかれることを避けるために、反響定位さえもあまり利用されない。結果として、移動型のシャチは、受動的に音を聞いて獲物を探すことに長けている。彼らの社会的連合は流動的なので、頭数の推計は定住型のそれよりも確度は低い。
移動型のシャチ - http://www.uaf.edu/seagrant/nosb/papers/2002/seward-orcas.html
北東太平洋のシャチの窮状
これらのシャチのグループは多くの研究の題材になっており、彼らへの深刻なストレスや頭数の減少が報告されている。カナダの絶滅危惧種の危惧レベルに関する委員会(COSEWIC:The
Committee on the Status of Endangered Wildlife in Canada)は、北東太平洋のシャチの絶滅危惧レベルを2001年11月に昇格させた。南部の定住型のシャチは、切迫した絶滅の危険性があることを意味する「絶滅危惧種」(endangered)に昇格された。移動型と北部の定住型は、もし状況が改善されなければ絶滅寸前になる可能性が高いことを示唆する「絶滅危機種」(threatened)に昇格された。
シャチはグループによってかなり生存率が異なる。また、オスのシャチはメスのシャチよりも明らかに平均寿命が短い。これらの点について、PCBsの生物濃縮の視点から検証する。
オスvsメスの平均寿命に対するPCBsの影響
オスの定住型のシャチの平均寿命は29年で、最長でも50〜60年である。メスの場合は、平均が50年で最長では80〜90年にもなる。
オスがメスほど長生きできないのは、メスは有害物質から逃れられている−ただし子孫へ負荷をかけているからだと考えられている。メスのPCBレベルは、最初の子どもを持つと思われる15才辺りで有意に減少することが知られている。そして、50才前後で生殖を終えると再び増加するのである。有害物質は、胎盤を通じて、また授乳期間に脂肪分の非常に多い乳を通じて、子どもに受け渡される。メスのシャチは、子ども1頭につき40‐50%のPCBを失う。また最初の子どもは、その後の子どもの4倍の有害物質を引き継いでしまう。母親から子どもへのPCBsの移動は「世代を超えての影響」についての重大な懸念につながる。受け渡しの結果、子どもは母親とほぼ同じ有害物質レベルでスタートし、その一生においてさらに有害物質を蓄積し、その子どもにさらに高いレベルの有害物質を引き継ぐ可能性がある・・・そしてこの循環は続くのである。
オスは子どもを産まないので、自分に蓄積したPCBから逃れる機会を有していない。そのため、オスの年齢が高いほど、蓄積されたPCBも多い。生殖しているメスは同年齢のオスの半分のレベルの有害物質しか保持しておらず、性別は生物濃縮の重要な要因であるといえる。
移動型vs定住型のシャチのPCBs
移動型のシャチに蓄積したPCBと、カナダ中部を流れるひどく汚染された河であるセントローレンス河のシロイルカに蓄積したPCBとの比較は驚愕すべきものである。シロイルカについての研究は、生物濃縮の現状についての、世界の注目を集めるのにかなりの貢献を果たした。昔は少なくとも5,000頭が生息していた。しかし今では、1962年の漁業協定(Fisheries
Act)によって保護され、1997年からはCOSEWICによって「絶滅危惧種」に指定されているにも拘わらず、たったの700頭しか存在しない。シロイルカは様々な有害物質に汚染されている。腫瘍や骨格奇形はしばしば見つかり、シロイルカの死体は有害廃棄物として処理されなければならない。さらに現実に雌雄同体現象さえ確認されている。それでも、北東太平洋の2種類のシャチのPCBレベルは、シロイルカのそれ(Muirらのデータ=78.9mg/kg;
Letcherらのデータ=86mg/kg)をはるかに上回っている。
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ピーター・ロス博士らは、移動型のオスが、恐るべき数値である251ppmのPCBsを有していることを発見した。さらに恐ろしいのは、アメリカ合衆国ワシントン州のダンゲネススピット近くの海岸に打ち上げられたメスのシャチのPCBレベルである。米国立海洋漁業サービスの調査者であるジーナ・イリタロは、汚染レベルがあまりに高く、通常の器具では精密な測定ができず、最初の検査はあきらめなければならなかった、と報告している。PCBレベルは約1,000ppmであった。これは、現在までにシャチで検出されたPCBsの最高値であり、すべての鯨類のなかでも最高値である。この移動型のシャチは、ブリティッシュコロンビア沖では一度も目撃されたことがなく、カリフォルニアでしか目撃されていなかったことは興味深いことである。アラスカ南部の別の移動型のシャチのグループでは、(ロス博士らの調査したグループと)同程度に高値である230ppmが、北部湾岸団体(North
Gulf Oceanic Society)のCraig O. Matkinによって検出されている。これらのデータは、移動型のシャチが、高度に汚染されたシロイルカの3−12倍のPCBを持っていることを示唆しており、移動型のシャチは地球上でもっとも汚染された動物であるといえる。
移動型のシャチは海洋哺乳類を餌としており、魚類を食している定住型よりも食物連鎖上の地位が高い。このことから予想できるように、北東太平洋の移動型のシャチは、同所種である定住型の約7倍ものPCBsを持っている。
定住型のシャチ - http://www.orcanetwork.org/habitat/habitat.html
南部の定住型vs北部の定住型のシャチのPCBs
2つの遺伝的に異なる定住型の下位グループ間でも、生存率にかなりの差異がみられる。北部のグループが比較的安定しているのに対して、南部のグループはより重大な問題に巻き込まれている。過去7年間で南部の定住型は18%も減少した。事実、北部の定住型は215頭ほどであるのに対して、南部の定住型は81頭しかおらず、遺伝子プールは非常に小さいものになっている。さらに、南部の定住型では子どもの数が少なく、オスが生殖期に達するのが遅い可能性がある。現在のところ、南部の定住型にはたった4頭しか成熟したオスがいない(もうすぐ性的に成熟するであろう「若芽」は数頭いる)。
都市的要因が、南部の定住型のシャチの生存率に影響していることは確かである。たとえば、餌の減少、船舶の運航のストレス、歴史的な剥奪(南部の定住型の方が水族館などに連れ去られたシャチが多い)などが考えられる。しかし、南部の定住型は北部の定住型よりも少なくとも4倍も高いレベルのPCBsを保有しており、有害物質はおそらく相当な影響を及ぼしていると考えられる。PCBsの影響は、先述の要因によって増幅しやすい。たとえば、食料資源の減少は、PCBsの脂肪への蓄積を増加させる。
非常に重要なのは、南部の定住型と北部の定住型は、棲み分けをしており、行動範囲が異なることである。南部の定住型は、バンクーバー島の南半分やプジェットサウンド(プジェット海峡)で見つかる。この地域は、都市化が非常に進んでいて、およそ500万人が住んでいる。それと比較して、北部の定住型は、ずっと都市化されていないバンクーバー島北部の水域によくいる。
南部の定住型の生息域は、北部の定住型のそれよりも有意に高いレベルのPCBsに汚染されている。ロス博士の調査によると、ワシントンの
プジェット海峡のアシカのPCBsレベルは、ブリティッシュコロンビア州のジョージア海峡近くのアシカでさえも、7‐8倍凌ぐ。これは、プジェット海峡はあまり波に洗われておらず、「毒のスープ」にまみれているとさえ言われていることを反映している。
生物多様性センター(Centre of Biological Diversity)のタイラー氏による南部の定住型の生存可能性についての分析では、現在の頭数の推移からは「最も確からしいシナリオは、絶滅に要する時間は95%信頼区間で33‐121年の範囲の中と推測され、中央値は74年である。」
Maps - on-line Atlas of Canada &
www.sidneymuseum.ca/vanisle5.htm