原発事故は科学技術の大失敗―運転再開は無謀―
物理学者・槌田敦氏にインタビュー
編集部 日本の原子力開発は物理学者の提案で始まったと聞きましたが。
槌田 そうです。東京大学の茅誠司教授と大阪大学の伏見康治教授の提案で始まります。
1952 年のことで、アイゼンハワー大統領の「平和のための原子力」の1年前です。
日本の科学者は原爆開発には協力しないとしていましたが、これは、自主・民主・公開で防げると考えていました。
編集部 放射能の危険は考えなかったのですか?
槌田 科学者は、原子力の安全は、科学技術で解決できると自信を持っていました。
原発がどのような事故を起こすかを考えて、それに対して科学技術により原子炉などを設計すればよいとしていました。
放射能が核燃料から漏れ出す原因は核燃料の過熱だから、緊急炉心冷却系(ECCS)を付けて冷却する。
それでも核燃料から漏れ出した放射能は、格納容器で覆い、外部に出ないようにする、としました。
この考えをDBA(Design Basis Accidents 設計基準事故)と言います。「起こり得る事故を想定して設計する」という意味です。
今回の福島原発事故は、この想定された事故の範囲内でした。原子炉の過熱はECCSで抑え、放射能は格納容器で漏れだしを防げるはずでした。
ところが、ECCS が働かず、格納容器は破裂の心配で、ベント(開放)しました。
その結果、福島県民は大量被曝しました。
●電源を失って最悪の事態に
編集部 科学技術が働かなかったのですね。
槌田 科学技術を使うには費用がかかります。ところが、東京電力はその費用をケチったので、6つの問題が起こりました。
まず、① 直流電源が確保できず、1、2号機では7時間、3号機では15 時間、原子炉の水位と圧力を測定できませんでした。
1号機と3号機では、この時間内に原子炉が空焚きになり、最終段階に突入していたのです。状態が把握できていないのですから、どうしようもなかったのです。
②やっと測定できた水位と圧力は誤表示で、作業を混乱させました。2つの水位計の値は異なり、また、圧力が真空以下だったりしました。これでは対処のしようがありません。
この誤表示の欠陥は、事前にわかっていましたが、東電は欠陥をそのままにしていたのです。
編集部 温度の測定はできたのですか?
槌田 こちらは、もっとひどいことになっていました。
③高圧交流電源が地震により確保できず、原子炉などの温度は、8日間も測定できませんでした。温度が測定できず、核燃料の冷却ができているかどうか不明だったのです。
④事故の最終段階では、ECCS低圧注水系を使います。これには交流電源が必要です。
1号機と2号機では、非常用交流電源も津波で浸水して使用できませんでした。
編集部 菅直人首相は、電源車をヘリコプターで運べと指示しましたね。
槌田 電源車は重くて運べないのです。道路が回復したあとでは持ち込むことができたのに、東電は菅首相の指示を無視しました。
●改善しなかった安全装置の欠陥
編集部 ECCSは使えたのですか?
槌田 これはひどいものでした。原子炉が空焚きになると発生する水素ガスの問題です。
⑤1号機のECCS非常用復水器は、水素ガスが溜まって使用不能になりました。これも事前にわかっていたことですが、東電は放置していたのです。
⑥2号機と3号機では、ECCS蒸気凝縮系に水素ガスが溜まるとして、これを撤去していました。ECCSの欠陥を改善するのではなく、
ECCSそのものを取り外すという、とんでもないことをしていたのです。
非常用復水器と蒸気凝縮系が生きていれば、運転中の福島原発1、2、3号機すべてで、過酷事故にはならないで済んだのです。
福島原発の過酷事故は、東電がこのようにDBA(科学技術)で必要な安全費用をケチったことで起こったのです。
規制委員会は、これら6項目を検討して他の原発の安全に反映させる必要があります。
ところが、福島原発事故でわかったことを反省せず、これらをすべて闇の中に隠して、川内原発の運転を安全だと認めたのです。
●事故収拾はデタラメだった
槌田 福島原発事故の第2の原因は、東電は事故の最中、へまばかりしたことです。
編集部 一般には東電の吉田昌郎所長は本当によくやったと英雄扱いですが。
槌田 彼には、原発事故はECCSで対処するという基本的な考えはなく、一切が思いつきのまま行動しました。
中でも最低の行為は、消防車による原子炉への注水です。消防車では、圧力も給水量も足りず、事故対処は不可能です。
だからこそ大容量で給水できるECCSがあるのです。
東電のデタラメ運転は、次の7つです。
⑴1号機では、自動起動したECCS非常用復水器をマニュアルにより手動停止しました。
事故が始まってECCS が自動起動したのに、通常操作のマニュアルで止めてしまったのです。
この非常用復水器の運転を続けていれば、1号機は過酷事故にならないで済みました。
また、3号機ではECCS 隔離時冷却系を手動で起動したのですが、これが通常運転モードで自動停止を繰り返しました。
津波後、このECCSを40 分間も自動停止を放置していたのです。これが3号機の破滅の原因です。
編集部 なぜ、そんなことをしたのですか?
槌田 事故時と通常時をごっちゃにしてはいけないのです。事故になったら、ECCSだけで対処するため、
通常時の使用条件は切り離す必要があったのです。
2号機でも、何度でもこの隔離時冷却系は停止したのですが、その都度、手動起動して対処し、原子炉は3日間も冷却できました。
⑵ところが、2号機では、この隔離時冷却系で使用する冷却水に、沸騰状態の圧力抑制室の水を使用して失敗しました。沸騰する水はポンプで吸うことができません。
⑶ところで2号機では、消防車で給水するため、減圧を目的にして逃し弁を開放しました。この減圧により原子炉は沸騰して、2号機も空焚きになりました。
⑷減圧状態の場合、ECCS低圧注水系など低圧で使用するECCSが必要です。これには交流電源が必要ですが、事故から3日目になるのに、
消防車を用意しても電源車を用意せず、2号機の冷却に失敗しました。
●ベントで大量被曝に
槌田 3号機では交流電源が津波でも生きていたので、低圧注水系は使用できたのに、これを使用しませんでした。
⑸さらに、消防車で海水を注水したので、核燃料のまわりに塩が析出して、核燃料の冷却を妨害しました。これが、福島原発事故長期化の原因です。
編集部 先生は海水使用をやめるよう、保安院に連絡されていました。
槌田 議論はされたようですが、無視されました。
原子力ムラの連中は、反原発派から注意されることを快く思っていないのです。1週間後にアメリカからの注意があり、これには従いました。
編集部 福島原発事故で、最大の被害の原因は何だったのでしょうか。
槌田
⑹2号機で、風向きを考えず、格納容器をベント(開放)して、放射能のほぼ全量を環境に放出したことです。
これで福島県民の大量被曝となりました。東電は、このベントをしていないと頑張っています。東電は、ばれるウソも平気でつくのです。
⑺3号機では、水位、圧力のデータをねつ造して、事故経過をねじ曲げました。
●再稼働するなら科学技術で対策を
槌田 要するに、福島原発事故では、科学技術が正しく使われていないことがわかりました。
これからも原子力を使うというならば、正常な科学技術に戻す必要があります。
つまり、福島事故を、新しいDBA として、これに対処できるECCS と格納容器の設計を新しくする必要があります。具体的には、
⒈ 高圧注水系など各種ECCS が確実に使用できるようにする。
⒉ 誤表示する圧力計、水位計を改善する。
⒊ 逃し弁開放を禁止して原子炉の圧力を維持し、空焚きを防ぐ。
⒋ 格納容器に溜まった放射能は、新設する第2格納容器に移送して放出を禁止する。
⒌ 福島と同様の事故を加圧水型でも想定。
⒍ 沸騰水型では原子炉底抜けを防ぐ科学技術はないので、沸騰水型は即刻廃止する。
福島原発事故の反省なく、DBA(科学技術)に寄らず原発を運転再開することは、
原子力開発には科学技術の使用を前提とした茅教授、伏見教授の提案の趣旨を無視することになると考えています。
【参考文献】
槌田敦『福島原発事故3年科学技術は大失敗だった』(2014)たんぽぽ舎パンフ
槌田敦 物理学会2014年秋の分科会(中部大学)『福島原発事故の研究』講演番号10aAC-1,2,3
月刊『食品と暮らしの安全』2014年9月号No305 槌田敦先生のインタビュー