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海洋放出が濃厚となった福島第一原発のトリチウム汚染水。
政府・東電は、大幅に希釈するので安全だと主張していますが、
アメリカでは低濃度のトリチウムによる重大な被害が起きていました。

海洋放出―「風評被害」でなく「実害」
アメリカの原発 トリチウム放出で重大被害



 多くの被害者を生んだ舞台となったのは、イリノイ州シカゴ市から南西に100kmほど行った場所に立つ、 ドレスデン原子力発電所とブレイドウッド原子力発電所。 2つの原発は互いに十数kmしか離れていません。
 ドレスデンの1号炉が運転を開始したのは1960年。1970年に2号炉、1971年に3号炉が稼働を始めました。 1号炉は耐用年数が過ぎて廃炉になりましたが、2号炉、3号炉は今も発電を続けています。  ブレイドウッドは1987年に1号炉、翌年に2号炉の運転が始まりました。
 両原発ともこれまで、運転停止となるような重大な事故は起こしていませんが、 実は、1990年代から大量のトリチウムを密かに漏洩し続け、周辺の地下水や湖を汚染していました。
 しかし、両原発を運営するエクセロンがこの事実を周辺の住民に知らせなかったため、 住民らは後に行政に対する情報公開で情報を入手するまで、地域の水道水や魚、 プールの水がトリチウムで汚染されていることを全く知らなかったのです。


7歳の女の子が脳腫瘍に

 漏洩の事実を住民が知るきっかけとなったのは、 2001年、両原発の近くに住む7歳のサラ・サウワーちゃんが脳腫瘍を発症したことでした。  ひんぱんに吐き気や頭痛を訴えていたサラちゃんを、母親のシンディさんが病院に連れて行くと、 脳幹に腫瘍が見つかったのです。
 約1年半、化学療法などを続けた結果、一命はとりとめたものの、 2年間、学校を休まなければなりませんでした。
 サラちゃんは他にも、普通に歩けない、右腕に力が入らない、声がうまく出せない、など様々な症状がありました。 身長も、140pで成長が止まりました。
 医師からは、「二度と話すことや歩くことができないかもしれない」と言われましたが、 姉と妹に励まされながら、本人も努力を続けた結果、何とか声を発することができるようになり、 自力歩行も可能になりました。しかし、障害は残ったままです。


10年以上、トリチウムが漏洩

 サラちゃんの病気の原因について、シンディさんは医師から、 「原発による環境汚染が関係しているかもしれない」と聞かされていました。
 そこでシンディさんは、産科医である夫のジョセフさんの協力も得ながら、 誰が娘の健康を奪ったのか真実を知るための調査に乗り出したのです。 同時に、シンディさん一家は、家族の健康のことを考え、2004年、イリノイ州の隣のインディアナ州に引っ越しました。
 調査は当初、行政が公文書の公開に消極的だったため、なかなか進みませんでした。  しかし、シンディさんの活動が知れ渡るようになると、反原発の市民団体などが協力してくれるようになり、徐々に、原発の闇が明らかになっていきました。
 シンディさんがまず突き止めたのは、エクセロンが実際に多量のトリチウムを垂れ流し続けていたという事実。
 2006 年までの10年以上にわたり、少なくとも数百万ガロン(1 ガロン=3.785.)のトリチウムが環境中に流れ出ていたのです。  そして驚いたことに、地元の行政はこの事実を早い時期から把握していました。漏洩の事実がわかったのも、公文書に残された記録から。つまり、自治体も、情報の隠蔽に加担していたことになります。


原発会社と政治・行政が癒着

 大企業のエクセロンは地元の政財界に大きな影響力を持っています。エクセロンは原発を建てる際、地元にカネをばらまき、そのカネで道路が整備され、幼稚園や図書館ができました。 こうした借りがあるため、行政も、法令違反を犯したエクセロンに重い処分を科すことができなかったのです。
 当初はシンディさんの調査に協力的だった地元の病院に務める医師も、次第に口が重くなりました。病院の理事の1人が、エクセロンの役員だったからです。  地元選出の連邦議員にも手紙を書きましたが、色よい返事はもらえませんでした。その議員はエクセロンから政治献金を受けていることが、あとからわかりました。
 シンディさんが調査を続けていくと、サラちゃんと同じような症状を訴える子どもが大勢いたことも明らかになりました。  ドレスデン、ブレイドウッド両原発の周辺では、1997 年から2006 年の10 年間で、白血病や脳腫瘍が、それ以前の10 年間に比べて1.3倍に増加し、小児ガンの子どもの数は2倍に跳ね上がっていたのです。
 原発から漏洩したトリチウムと、サラちゃんの脳腫瘍や様々な病気との因果関係を確信したシンディさんは、国や自治体に調査を要求しました。 ところが、国も自治体も、原発周辺の環境中のトリチウム濃度は、国の基準を下回っているから安全だとして、まともに取り合いませんでした。結局、真実は、闇に葬り去られたままとなりました。


廃炉後に乳児の死亡率が低下

 しかし、アメリカでは、低濃度のトリチウムと乳児の健康との因果関係を示唆した調査結果がいくつもあります。
 例えば、医師や大学教授らによる民間の学際チームが、1987年から1997年の間に原子炉を閉鎖した9地域で1歳以下の乳児の死亡率を調べたところ、 閉鎖前と比べ、閉鎖後の死亡率が平均17.3%低下していることがわかりました。  中には、42.9%も死亡率が改善した地域もありました。
 また、米科学アカデミーは2005年、「放射線被曝にはこれ以下なら安全と言える量はなく、低線量でも発ガンのリスクがある」との見解を発表しています。それでも、低線量被曝の被害者はいまだに救済されていません。
 アメリカの例は、原発に関していくら科学的証拠があっても、原発利権による隠蔽・捏造の危険が常にあることを示しています。


月刊『食品と暮らしの安全』2020年5月号No373 掲載記事(全文)



トリチウム汚染水処理のパブリックコメントに意見書

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