食品と暮らしの安全基金代表 小若順一
ポストハーベスト農薬に取り組んでいた15年ほど前、私を、農薬「全面否定派」と勘違いしていた人がたくさんいました。
食品添加物より危険な農薬を、食品添加物と同じように使うポストハーベスト農薬に的を絞って追及しただけなのに、「全面否定派と思われてもね」と感じたものです。
講演に行くと、塩だけで味付けされた玄米お握りが昼食にでてきて、「農薬が使われているかもしれないから、何も具を入れませんでした」と言われたことが時々ありました。
食事は旨いのがいいと思っているので、これにはがっかりしたものです。
ポストハーベスト農薬については、私は食べ物の安全性の歴史に残る業績を上げたと思っています。
その理由を、「反農薬」の思想信条が強固だったからと思っている人が多いのですが、これも間違いです。
私は、思想信条など持たない方がいいと思っているからです。
思想信条が強固だと時代の流れについて行けないので、業績が上がりにくくなります。ですから、思想信条があっても、固定しないのがいいと考えているわけです。
●「切り取る箇所がポイント」
悪と闘っている運動家は、一般的に悪を「全面否定」したい体質を持っています。私にもそういう傾向があって、話すときはよく全面否定してしまいます。
でも、原稿は後でチェックできるので、全面否定はしていないはず。もし全面否定しているように見えたら、それには条件がついていて、できるだけ小さい特定の範囲に限っていると思います。
全面否定しない理由は2つあります。
第1は、自然界の原則が「部分否定」だからです。自然は限りのない複雑系で、問題のあるものや、問題な部分だけが排除されることで、全体のバランスが復元される仕組みになっています。
第2は、全面否定すると少数の人にしか受け入れてもらえない可能性が高くなるからです。
市民団体が自分たちの主張を実現するには、国民の半数の支持を得る必要があります。支持を増やすためには、否定する箇所をどのように限定するかがポイントになります。
否定箇所を増やす方向だけで考えたら、成果は上がりにくくなります。逆に、否定箇所を減らす方向だけでもダメ。ちょうどいい具合のところがあるはずなのです。
例えば、最新刊の『放射能で首都圏消滅』は、企画段階では「浜岡原発」と「首都圏」にテーマを絞っていました。出版社の意向で、「伊方原発」と「関西」、「女川原発」と「東北」も取り上げ、3月に差し止め判決が出た「志賀原発」も取り上げました。これで時代と合う内容になったかどうかは、結果が出てみないとわかりません。
ともかく、問題のあるところから、どのように問題点を切り出し、どの範囲に限定してアピールするか、そこが市民団体の腕の見せ所と私は考えているわけです。
次回は、「三無主義」について書きます。
2006年5月1日発行 No.205より