食品と暮らしの安全基金代表 小若順一
耐性菌が幼稚園・保育園にも蔓延
2001年の「21世紀をどう生きるか」対談で平松啓一順天堂大学教授に、抗生物質耐性菌の恐怖を述べていただきました。 そのときに、抗生物質がどの分野で、どのくらいの量が使われているかが、把握できていないことがわかりました。
調べればわかることなので、病院内、家庭に持ち帰って飲む抗生物質、畜産、養殖魚と、抗生物質が使われるすべての分野で、使用量を明らかにすることにしました。
厚生労働省と農林水産省に聞いても、役人たちはデータを隠そうとします。何回もケンカしましたが、それでも隠すので、佐藤謙一郎衆議院議員(当時)に協力をお願いして、
質問主意書を何通も用意し、ついに全データを出させることに成功しました。
特に厚労省の役人は悪質で、データがあるのに「ない」と平気でウソを言うのです。それで、質問主意書を3連発して3週間ほど徹夜させてやると脅して、
佐藤議員の部屋に役人を集めたら、課長補佐が最後の挨拶のときに一瞬、口を滑らせたのです。剣道で、緊張して対峙した中で、一瞬だけ隙ができるような感じでしょうか。
その直後、議員会館の廊下を逃げ去ろうとする巨体の課長を追いかけて立ちふさがり、データを出すとの言質を取ったのです。ここではジョギングの成果が出ました。
それで、病院内で使われている抗生物質の総量は100トン、家庭で飲む抗生物質は400トン、畜産は1000トン、魚の養殖に200トンが使われていることが判明。
これで、対策が最も重要な分野は畜産であることが明確になりました。 ほとんどの抗生物質が効かないMRSAという菌はヨーロッパの養豚場か養鶏場から発生しているので、それとも符合します。
その後、幼稚園児や保育園児の調査で、病院の外も耐性菌だらけと判明。
2004年の創立20周年記念集会では、「深刻化する耐性菌問題への対処法」という講演を平松教授に行っていただきましたが、 半年後に教授が大病をしたので、活動はストップしたままになっています。
東海地震による浜岡原発爆発の恐怖
浜岡原発の設計にかかわった技術者が「耐震強度を偽装した」と告発したので、2005年から浜岡原発に取り組みました。 地元の運動家・古長谷稔氏を8ヵ月間だけ期限限定でスカウトし、『放射能で首都圏消滅』(2006年4月、三五館)を出版。
ところが、この前後1年間は大きな地震が起こらず、本は不発に終わりました。 しかし、本の中で、都心から逃げ出すのは無理で、荒川の橋を越えた埼玉なら、いざというときに逃げ出しやすい、と書いて引越し先も探していました。
それで、与野本町へ引越し、埼玉に根を下ろして、全国と世界をにらみながら活動するようになったわけです。
出版の翌年7月16日に新潟県中越沖地震が起こって柏崎原発が壊れたので、出版時機が早すぎたと嘆くことになりました。
2009年8月1日発行 No.244より