食品と暮らしの安全基金代表 小若順一
私たちの団体のルーツをさかのぼると、豆腐、ハム・ソーセージ、かまぼこ・ちくわなどに使用されていた合成殺菌料のAF2に遺伝毒性が発見されたところに行き着きます。
新聞報道されたのは1973年で、私は当時、日本消費者連盟に事務局員として入ったばかりでしたが、AF2は大騒ぎになりました。
AF2の遺伝毒性を発見したのは、東京医科歯科大学の外村(とのむら)晶教授(肩書きは当時)。10年ほど後に「日本子孫基金」が発足したとき、代表世話人の1人になっていただいた方です。
当時、遺伝学者たちは、日本遺伝学会会長で国立遺伝学研究所所長の田島弥太郎先生が先頭に立って総力を挙げてAF2を禁止させようとしていました。
ところがガン学者たちは、発ガン性が認められていないとして、禁止に反対したので、なかなか禁止されませんでした。 そのため消費者団体は、消費者運動の歴史に残る大反対運動を展開したのです。私の社会人生活は、ここからスタートしました。
反対運動が始まって半年もすると、AF2を使う業者はいなくなり、AF2使用食品は店頭から撤去されます。 テレビでは上野動物園の熊がハムを食べている映像が流れるようになっているのに、それでも禁止されず、1974年8月20日に発ガン性が見つかったとして、やっと禁止が決まりました。
ところが、肝心の「遺伝毒性」が、この時点から忘れ去られたのです。
遺伝毒性が重要であるという外村先生の講演を聞いた私は、先生にお願いして1976年から「遺伝毒性勉強会」を始め、翌年に「遺伝毒性を考える集い」を結成し、
合計70回以上の勉強会や集会を行いました。
その活動で、AF2が禁止された8月20日を「子孫の日」と命名し、長寿村で有名な棡原(ゆずりはら)で毎年、合宿を行いました。 1983年の子孫の日に、東京都立立川短期大学の吉田幸弘教授が「少しお金を集めてくれれば、遺伝毒性のテストをしてあげるよ」と言われたのが、当団体を設立したきっかけです。
市民がお金を集めて、化学薬品の遺伝毒性の検査を専門家に依頼するということで、「基金」という名称の入った「日本子孫基金」が1984年2月20日に誕生しました。
最初は、EDBという農薬の遺伝毒性をショウジョウバエを用いて検査。続いて、バクテリアを用いて、甘味料、輸入米の突然変異性を調べました。 最大の成果は、虫除けスプレーに、非常に強い突然変異性があることをショウジョウバエのテストで見つけたことです。
これは1988年に発表しましたが、その後、湾岸戦争やイラク戦争の帰還兵の子どもに先天異常が多発することがわかりました。 その原因は、虫除けスプレーの主成分であるディートと、他の薬剤の複合作用と見られています。
このころから日本子孫基金の活動は、中身が変わっていきます。 その理由は次号に書きますが、この名称では活動の中身がわからないと言われるようになったので、20年目に「食品と暮らしの安全基金」に名称を変更しました。
そのとき、ルーツがわかるように「基金」を名称に残しておいたのです。
2009年4月1日発行 No.240より
(2月21日の「25周年記念講演」をもとに書き下ろしました)