代表小若順一が月刊誌に連載していた「安全基金の活動と考え方」です。
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「ライバルはいらない」 安全基金の活動と考え方(20)

食品と暮らしの安全基金代表 小若順一

 「ライバルと、闘う相手は強い方がいい」
 こんなことを消費者運動の大先輩から、聞いたことがあります。若いころのことですが、そのとき、「すごい人は、すごいことを言うもんだ」と思ったものです。
 スポーツの世界では、ライバルがよく比較され、よく報道されています。そういう報道を見たり読んだりするのは楽しいですが、自分がそういう立場になるのは嫌です。
 私は、かつて剣道をしていました。高校剣道部は弱かったのですが、それでも兄弟校と練習して我々より弱いと思っていた相手に、1ヵ月後の対抗戦でコロッと負けたことがあります。大将戦で当たるのですが、ライバルと思っていなかった相手にです。
 そんな体験をしているので、ライバルが強い方がいいなどと思ったことは、一度もありません。
 スポーツのように、ルールを決めて、それで勝負を競うのは、しんどい練習をして、手や足の皮がむけて痛い目をしながら頑張っても、同年代の選手と比べると同じくらいの進歩しかしないので、あまり差がつきません。いい指導者がいたら、その集団は強くなりますが、集団の中で序列が変わることは少ないので、やはり、あまり差はつかないのです。
 まれに、抜きん出てくる人がいますが、それは運動の才能が特別にあるか、練習を多くできる才能や意志を特別にしっかり持っている場合です。
 社会に出て仕事をし始めると、ルールが単一ではなく、複雑になります。それでも比較は簡単にできるので、やはり○○と△△がライバルとよく話されます。
 一般社会では、時代の流れとアイデアが成果と直結しているので、大差がつきやすく、大逆転もよくあります。
 それでも、自分や安全基金が□□とライバルと言われるのは、私は嫌です。連載(16)に書きましたが、私は好きなことをしていたいのです。
 ライバル視される存在が現れて比較されると、意識せざるをえなくなり、好きでもないことに努力しなければならなくなります。アイデアの出し方も硬直化せざるを得ません。
 そういう状況にどっぷりつかって、楽しそうに頑張っている人や組織のことを聞くと、自分はそういうタイプではないことを痛感します。
 だから本誌では、誰も手をつけていない新しいことを記事にしたがりますし、そういう市民運動をしたいわけです。
 誰かが同じことをしていたら、視点や切り口を変えます。それは無限にありますから、変える気になればすぐ変えられます。
 ともかく、自分のペースで生きて生きたいわけです。
 ただし、市民運動の相手は別です。強かろうが、弱かろうが、そんなことは関係ありません。広告主のことを気にしなくていい稀有の雑誌だから、その特徴を活かさない手はありません。


次回は「合理性と意地」の予定です。


2007年8月1日発行 No.220より

安全基金の活動と考え方(21)「合理性と意地」

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