特集◆アスペルガー症候群奇跡の回復Ⅲ Tweet
月刊誌『食品と暮らしの安全』2009年2月238号掲載
『無添加白だし』を摂取し始めて、心身が急速に回復している「こうちゃん」。
小学2 年生の彼は、相手を気遣う言動が増え、食事の楽しみも増しています。
学校では、どのような生活を送っているのでしょうか、
2学期中の変化を、こうちゃんの絵と共に追ってみました。
●心が混乱し、荒れていた(天然ダシ摂取前の2学期前半)
天然ダシの摂取を始める直前に、運動会がありました。この前後のこうちゃんは非常に荒れていて、配膳のすんだ給食のお盆を、すべて床にぶちまけてしまうほどだったそうです。
アスペルガーの子は、自分に向けられた言葉でなくても、自分のことのように受け止めてしまう傾向があります。 こうちゃんも、合同練習で他のクラスが注意されたのに「自分が悪い、僕ができていないんだ」と感じてしまったようです。
マイクを通した音も、五感の過敏なこうちゃんにとっては人一倍大きく感じられたのかもしれません。 そのマイクの言葉を、すべて自分のこととして受け止めていたとしたら…。それは、こうちゃんには「こわい」時間だったと想像できます。
この時期、目の吊り上った怪獣の口から、さらに怒った顔が出てくる絵を描いています。 しかも背中からお腹まで突き抜ける大きなナイフが「グサッ」。(表現①)
怒られていると感じることが続いたのでしょうか。2体の恐い顔と鋭いナイフから、こうちゃんの心も突き刺すような痛みや恐怖が感じられます。
数日後には、友だちとしてよく登場する犬のポチの行く先に、「ズン」と立ちふさがる大きな足( 表現②)を描いています。 自分の分身でもあるポチからは、汗が噴出して、行く手を阻まれて困った表情は、どうにもならなかったこうちゃんの心情を表現しているようです。
この絵の直後に作った、おてつだい表には「めいわくにならなくできましたか」という項目があります。 集団の中での自分の姿が認識できるようになっていたのですから、適応できない自分、思い通りに進めない自分に、余計に焦りを感じていたのかもしれません。
パニックを起こしたり、暴れたりすると周りは迷惑を受けるので、そのことに目が向きがちですが、一番つらいのは本人自身だということを、改めて考えさせられる表現です。
●客観的な視点が出てきた【変化1】(天然ダシ摂取後の2学期後半)
「最近、すごく穏やかな表情になってきました」
「目立つ行動をしなくなりましたし、体力が出てきましたね」
天然ダシを摂取し始めて2ヵ月後、学校で暴れなくなり、落ち着いてきた様子が先生からお母さんに伝えられました。
他人に向けられた言葉の受け止め方も、次第に変わってきて、
この時期には、「○○くんが、今日は先生に怒られたんだ」
「先生は……って言ってね、そしたら○○くんが……って答えたの、こんな顔になったんだよ」と、笑いながらお母さんに話すようになったそうです。
以前は、家でお姉ちゃんが叱られていると、真っ先にこうちゃんが泣き出してしまっていたのに……。
物事を客観的に見られるようになっただけではありません。 同じ頃に、自分の頭の中から小さなロボットが登場する“こうちゃんロボ”(表現③)を描いています。
物事を単一的に捉えがちだったところから、思考に別の回路が出て、違う視点も生まれたことを示す表現です。 その結果、人の言葉の受け止め方も多様性が生まれ、状況を正確に認識できるようになり、集団生活での困難さが軽減されたことが想像できます。
2学期後半は、サポートの先生の補助もほとんど受けずに過ごしたそうです。
●味覚が広がり、食は喜びに【変化2】
天然ダシの使用によって、味覚が広がり、学校給食の野菜を残さず食べ、
家でもこうちゃんだけの特別メニューを卒業。
家族と同じ夕食を摂るようになったことを、前回お知らせしました。
それは、「嫌いな野菜にも果敢に挑戦し、時間内で給食を食べきれるようになりました」と、
担任の先生からコメントをいただいたことでも証明されました。
以前は、給食をほとんど食べられず、昼休みになっても一人で教室に残ることがあり、それが登校を渋る原因の1つになっていたのです。
天然ダシを摂り始めて1ヵ月ほどしてから、食べ物を題材にした表現をするようになりました。これは、今までには見られなかったことです。
「ぐつぐつ」と煮えた鍋の横に、自分の体よりはるかに大きく2つのカレーライスが描かれています(表現④)。 表現するモチーフの大きさは、本人の関心の深さと共通しやすいのですが、この絵はその典型的な例といえるでしょう。
大きなスプーンをもったこうちゃんと仲間が小さく描かれていた④の次の⑤には、 大きく「いただきまーす」「2人で1つのカレーってたのしいね♪」「チャンチャン!」と書かれています。
給食も皆と一緒に食べきれるようになった時期の表現です。 友だちと一緒に楽しく食べられるようになった体験は、こうちゃんにとって大きな喜びと自信になったのでしょう。
日本人の微量栄養素不足を最初に指摘した弓田亨氏は、「食の本来の意味は、心と心をつなぐものです」と話されていましたが、まさにその状況に近づいています。
おいしかった記憶を絵に残す表現も出始めます。前日のクリスマスに食べたチキンがよほどおいしく、楽しかったのでしょう。 3ページに渡って、チキンを片手に笑顔のこうちゃんの絵が続きました。体験の楽しさと、食がしっかりつながります。
料理にも興味を持ち始め、じゃがいもの皮をむいて自分で調理する場面まで描かれました。 食べる喜びを知ったこうちゃんは、食への興味と関心がぐんと深まっています。
●集団・友達へ関心高まる【変化3】
こうちゃん1人が表現されていた時期を経て、仲間が登場するようになり、前号では11人が描かれましたが、その後、何と28人もの仲間を描きました。
敵である「画びょう」も、「画びょう隊」が結成され、集団同士のやりとりへと変化しています。 1学期は、自分よりも大きな画びょうが頭上から突き刺さるという、恐れに満ちた表現をしていました。
それが、こうちゃんの視野は、自分だけの世界から、集団へと移行しています。
学校で作った、「絵手紙」は、1週間ほど前に入院したパパに「パパげんきですか。こうちゃんはげんきです。おなじはん(班)は○○さんと○○さんがいっしょだよ。」
お友だちの名前が絵の中でもはっきり書きこまれました。
こうちゃんは、2年の2学期になっても、家で友だちの名前が出てくることはありませんでした。
「おそらく、自分のことだけで、精一杯だったのでは」とおかあさん。
今は授業中に堂々と手を上げて発言している自分と、友だちが笑顔で並び、上げた手先には、爪まで描かれ、足元の上履きにも名前が書かれています。
丁寧に書きこむ部分には、特に思い入れの強さが表れるので、記名をしたこの表現から、友だちへの強い関心が感じられます。
手紙は「さいきんはやさいもたべられるようになったよ。マットうんどうもしているよ。さん数(算数)でいろいろはつ言(発言)できるようになったよ。
今は体いく(体育)でマットうんどうをしているよ」と続き、できるようになったことの自信が伝わってきます。 「さいきんは…」と自らの過去と比較して、今の状態をきちんと理解できていることに驚きます。
このカードの表紙には、夜空に星と月、表紙を開けると、太陽と青空、虹が広がり、夜が明けることが象徴的に表現されています。
「夜明け」も現状からの脱皮や、次の段階への進展の時期に表現されることが多いモチーフで、絵と文面から自分の目覚しい成長を自覚していることが伝わってくる作品です。
マラソン大会に出る話を作り、「がんばる」「金メダル」「ぜったいかつ(勝つ)」「ゆうしょう」と吹き出しの言葉が書き込まれた絵(表現⑥)からも、
この時期のこうちゃんの意欲や、気力の充実が感じられます。
自分の存在すらかき消していたころの表現は、もう見られません。
●テストも90点〜95点に【変化4】
「勉強もよくできる、非常に賢いお子さんです」と2学期末には先生からもお話がありました。
「あれ、こんなに点数とっている…」とおかあさんが驚き始めたのは、ダシ摂取から2ヵ月近く経過した12月のこと。 以前はテストの時間内に書き込めずに空欄を残すこともあり、良くても点数は80点どまりでした。
それが2学期のまとめのテストでは、回答欄は力強い文字ですべて埋まり、国語も算数も90点、95点の連続です。
『無添加白だし』の使用から2ヵ月、食にまつわる表現が急に増えました。
そこから、食べる喜びを知り、微量元素の補給ができて、気力、体力が充実し、関心や視野が広まり、課題への持続力が出てきたことが伺えます。
この時期、「こうちゃんがあんなにかがやいている」(表現⑦)の絵では、描いた星を指して「こうちゃんから光が出ているんだよ」と話してくれました。
自分自身から光を放っていると感じられるほど、内からフツフツと沸いてくるエネルギーを感じているのでしょう。
登校を渋るどころか、学校生活でも「できるようになった自信」を感じ、落ち着きも認められ始めた、今のこうちゃんを象徴する作品です。
今後も、さらに輝きを増し、力を発揮していくのではと期待が膨らみます。
国光美佳(色彩心理インストラクター)
月刊誌『食品と暮らしの安全』2009年2月号No238掲載
>>アスペルガー症候群奇跡の回復Ⅳ(2009年4月号No240)
>>ミネラル不足食品ばかりでは病気に罹る(症例別目次)
>>こうちゃんの症例が掲載されている 書籍『食べなきゃ、危険!』
関連ページ
⇒「摂食障害は治る!」
⇒「キレなくなった子どもたち」
⇒「心身を害するミネラル不足食品−実測データ総まとめ集−」(月刊「食品と暮らしの安全」2017年2月号)
⇒「食べなきゃ、危険」